師匠のおひっこし

 
Y師匠が、ハワイへ移住のために、日本を離れるので、
見ていただける最後の合同稽古でした。
この日稽古に来た14人の弟子たちが各段位順に制定十二本の居合を演武した。
自分の演武もことのほか褒めていただけて嬉かった。。
稽古後は居合の会がよく集う居酒屋にて、後から駆け付けて、あわせた16人のお弟子とその家族での宴会。
以前から検討されていたようでしたが、Y師匠はこの度の震災と原発事故にはそうとうなショックを受けられ、お嬢さんの住むハワイへと移り住むことをこのタイミングで決められたようでした。
今回はお引っ越しのために一時帰国されていました。
今後も大会などのイベント時には日本に来るんだし、最後の晩餐とかお別れ会とかそういうのはイヤだからとY師匠が仰るので宴会ということでした。
それでも宴も酣になる頃にはしみじみとお話ししてくださいました。
「武士道とは死ぬことをみつけるのではなく、 生きる道をみつけることです。居合は自分の人生をよりよく生きるためにきっと役立ちます。これからも精進して稽古を続けていってください。」とY師匠は仰った。
ちょっとしんみりした後も、50代にまちがわれたともうすぐ80歳の師匠が話してくれるハワイでのエピソードに皆で大笑い。
厳しくもいつも明るいY師匠。
とってもお茶目で可愛らしい女性だなと思う。
T師匠Y師匠ご夫妻にはたくさん学ばせていただきました。
感謝してもしきれないくらいに。
自分もこの年齢になってから、ご夫婦に出会い、叱りつけてもらいながら指導いただけたことは本当にありがたい経験でありました。
居合以外にも人生道においても示唆に富むご指導をいただき、たったひとりで迷わなくて済んだこと、乗り越えられたことも多々ありました。
今生で巡り合えたことに無条件に感謝したいと思います。。
来年はT師匠の三回忌なんですね。
いつの日にかT師匠の御霊の眠るハワイのワイキキ沖に自分も伺いたいです。
宴ではいつものように皆で大笑いしてました。
かけがえのない素敵な師弟関係です。
しみじみそう思いました。
お引っ越しもお疲れ様でした。
にゃんこ先生たちはいっしょに別天地に引き取られていったそうだ。
引っ越しの荷物といっしょに運べなかったので、道場に鎮座していたドラゴンヘッドは我が家であずかることになったのでした。
 
 
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咲く

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突然の依頼で、自分が非常勤で勤める、学校の居合道部の団旗デザインをやりました。
現状の内にベストを尽くさせていただきました。
本当は手書きの文字を高解像度でスキャンして使いたかった。
それが悔やまれるところですが、精いっぱいの形にさせていただきました。
ところで6日の日曜は、2週間ぶりに稽古にいってきました。
勉強熱心な兄弟子K氏からいろいろアドバイスを受けながら稽古ができました。
定期的に外部の稽古会に参加しているK氏がそこで聞いてきたという印象に残る話をしてくれました。
昇段審査前の指導内容です。
ほとんどが技前の指導よりも、演武時の心の内と有り様の話だったようです。
居合にはその人の人生が出るということです。
落ち着きの無いガサガサした所作であったり、マイペースでもったいつけたように間延びしていたり、大見得を切るような芝居がかったのや、小さな躓きが尾を引くような縮こまった所作だったり…
その人の送ってきた人生や価値観、性格などの人間性が滲み出てしまうものなのかもしれません。
居合の昇段審査は減点方式なのだという。
五段六段の段位取得の審査を例にとると…
着装の乱れの有無、入場時の態度と気構え、刀礼の作法それまでの段階で全てのチェック項目でダメ出しされて、実際の演武の技前を見てもらう前に合否が決まっていることがほとんどだという話でした。
まだまだ技前にこだわる時期の自分には正直驚きでしたが、腑に落ちることだらけです。
いずれはその境地で修練していくことになるのだと。
審査員の先生方は剣先にその人の人生の重みがしっかり乗せられているのかを観るとまで仰います。
そこに気迫がこもり敵を圧し怯ませるものがあるのだと。
技より人間をみる(見る、視る、観る)。
技をそつなくこなしても、その人の人生が滲み出ていなければ魅力とならない。
内に気が充ちてそれがあふれだすほどに、たたずまいは凛と静かに落ち着いて見えるのだとも形容されていました。
たとえ技前は下手だとしても、人の胸を打つような真摯な居合をされるかたには、それなりの評価がつくのかもしれませんね。
ひるまない威力がその人の人生からも滲み出すように。
みればその人がわかると高段位の先生方は仰るわけですが、それはひっくり返せば、逃げ腰ではない立ち向かっていく態度のことであるのかもしれません。
その演武の場に出てくる前に、やるべきことは充分やりきったという後悔の無い覚悟と自分の肉体の内にゆるぎない気迫を充ち充ちさせて挑むその姿を観るのだと。
その時の実力を出しきる覚悟がその人の現状ベストの力を引き出すのだと。
個性を持って表現すると、クリエーターの世界でも良く言われます。
鬼気迫るように命を投げ出し、今の自分の花を咲かすような覚悟をともなった表現ということをイメージし、僕は岡本太郎さんの生き様を想い浮かべてしまった。
『芸術は爆発だ!』とはみごとな言葉の咲きっぷりじゃないかと再び想えた。
まだその時ではないと逃げ腰に自分の何かを温存する。
しかし、では時と場所と風を得た時に都合良く咲くことはできるのかということです。
まだまだなんだ。
後悔なく覚悟をもって自分を咲かせてみたいものです。
居合修練はまさに日々爆発的に自分を咲かせる稽古をしているのだと思えてきました。

ひさびさの稽古

 
少し前から日曜に稽古する小学校とは別の小学校の体育館で水曜日の夕方からも稽古が行われています。
こちらでの合同稽古は初参加でした。
Y先生も九州からお帰りになり3週間ぶりくらいでお会いできました。
兄弟弟子の皆さんとも久しぶりに顔合わせできました。
新人さんも2名参加されて兄弟子のIさんが刀礼などの基本の指導に当たっておられました。
東北土産の南部せんべいも皆さんにお渡しすることができホッする。
夕方からの稽古とはいえ、まだまだ暑く、滝のように汗をかきました。
久しぶりの稽古なのであとの筋肉痛が心配です。
しかし稽古ができるのは気持ちも引き締まるようで本当によかった。
 
 
 
 

夏用の居合道着

 
「居合道 虎の巻 其の参」に掲載されていたキュービックセンサー居合道衣・袴セットをネットで購入し、夏用の稽古着として着用しています。
生地は薄めになっていて、吸汗・速乾性のある生地なのだそうです。
なかなかの着心地です。
着座時にふわりと袴が広がりすぎる感じはありますが、この夏の稽古はこの居合道着で乗り切りたいです。
 
 

一つ所で懸命に

Y先生は先日の女子居合大会で久々に演武されたそうだ。
『私が一番やりたいことはコレなんだなあとあらためて自覚したのよ』そうおっしゃっていた。
素敵だなと感じ入る。
自分はどうなのだろう。
ふと自問してしまう。
これまでも自分が一番やりたがってる、もしくはやると言い張ってきたことは今でも一貫して変わっていない。
でも、着手もできないでいるうちに興味の対象が変わり続け、いったいなにがしたかったのかもピントがぼやけているのが現状かもしれない。
仕事はやりがいも感じているが、クオリティ的には自分ならではの作業をしっかり遂行できているのか常に自問する日々。
中心とすべき軸はふらふらゆれていて、本来の力が発揮できないでいるという設定の幻想の中でどうやら自分は生きている。
家族にもその幻想をつきあわせているのではないか。
おちいりがちな過ち、偶然でも自分の資質により乗り切れた幸運などを洗い出してから今後の展望を考えてみる。
辿り着いたこの場所でまずは懸命に生きてみる。
不平不満を並べたてることで心をすり減らすことなく、現状で最善を尽くすことを常に実行する。
自分の小さな了見でピントをぼかしてしまうのでなく、今をしっかり生きることで自分を切り開いていく。
自分の中の放置してた荒れ地を開拓していく。
そしてベストな種をまいてベストな花を咲かす努力を怠らない。
与えられている環境の中でベストを尽くすということ。
毎度のことで当たり前なのだが、自問も結局そこにたどり着く。
 
 

一つ所で懸命に

Y先生は先日の女子居合大会で久々に演武されたそうだ。
『私が一番やりたいことはコレなんだなあとあらためて自覚したのよ』そうおっしゃっていた。
素敵だなと感じ入る。
自分はどうなのだろう。
ふと自問してしまう。
これまでも自分が一番やりたがってる、もしくはやると言い張ってきたことは今でも一貫して変わっていない。
でも、着手もできないでいるうちに興味の対象が変わり続け、いったいなにがしたかったのかもピントがぼやけているのが現状かもしれない。
仕事はやりがいも感じているが、クオリティ的には自分ならではの作業をしっかり遂行できているのか常に自問する日々。
中心とすべき軸はふらふらゆれていて、本来の力が発揮できないでいるという設定の幻想の中でどうやら自分は生きている。
家族にもその幻想をつきあわせているのではないか。
おちいりがちな過ち、偶然でも自分の資質により乗り切れた幸運などを洗い出してから今後の展望を考えてみる。
辿り着いたこの場所でまずは懸命に生きてみる。
不平不満を並べたてることで心をすり減らすことなく、現状で最善を尽くすことを常に実行する。
自分の小さな了見でピントをぼかしてしまうのでなく、今をしっかり生きることで自分を切り開いていく。
自分の中の放置してた荒れ地を開拓していく。
そしてベストな種をまいてベストな花を咲かす努力を怠らない。
与えられている環境の中でベストを尽くすということ。
毎度のことで当たり前なのだが、自問も結局そこにたどり着く。

まいチョンボらいふ

 
新弟子Oさんといっしょに朝稽古中、見本を見せるつもりが刀礼がすっぽぬけて固まってしまい、あれっ? てなる。
別にイイところを見せようと思ってたわけでもないのだが、身体に染み込ませたはずの動作が誤作動する感覚を味わう。
先日も仕事を終えて階下へ降りようとして、学校のエレベーターのボタンを押すはずが、車のキーについてるドアオープンスイッチを何度も押していた。
アナログ技法で絵を描いている時の失敗を、PCソフトで描いてる時のように、アンドウーしようとする感覚に似てるかな。
気分的にかなりずっこけた。
なんてチョンボだろ!
アル中ハイマーか自分は。
かなり恥ずかしいが、まだ自分で自分を笑えるレベルかな。
ココロの栄養になるような、よい印象でも摂取しに…
ひさびさに景色のいいところへ出かけたいものです。
まずはおいしいものでも食べて多めに休みをとろうと思います。
 
 

今朝の稽古で

 
Y師匠のおハナシから。
上達のプロセスにおいては修業の進み具合によって「その段階でなら今はまだそれで良し」ということがある。
が、まだまだ先があるということを忘れてはいけない。
その段階の割には良くできているという意味での『良し』なのだ。
それを、『良し』といってもらったからといって、自分はできるようになったと勘違いしてはいけない。
前に指導していただいたところを一週間稽古してできるようになって次の稽古に臨んだ時に、師匠が良しと言われた。そしてこんどはこうしてみろと言われた。
前回と別のことを言うと。次にはまた別のことを言われると。
それで不満が噴出し、毎回違うことを言われるので混乱すると文句を言うのは筋違いであって修業が進んだ頃合いを見て次の段階の修練がまた始まるということの繰り返しがあるのだということを理解すること。
それが分からない人は一度良しといわれただけでできるようになったと天狗になったり、毎回違うことを言われることで混乱し辞めてしまうこともあるのだという。
修業の進み具合で語られる『守・破・離』のハナシと絡めると…
師に付いて基礎をまずしっかりならうのが『守』の段階。
他の流派や達人の技を研究し自分の技に取り入れるようになるのが『破』の段階。
そしてやがては師を離れ自分のオリジナルの居合を創りあげるのが『離』の段階。
これは画業にもあてはまる。
基礎修練はもっとも大切なこと。
習得した基礎は崩さずにその上に表現を積み上げ切磋琢磨していく。
それがやがては自分だけの表現に結実していく。
そして天狗になるプロセスも、混乱したあげくに自滅していくプロセスも画業においてもよくあることなのだ。
師に付くということは伝授していただけることに感謝し、現状のありのままの自分を委ね無心(我欲無し)で信じて付いていく。(心酔することも大事)
いちいち疑問をはさんだり自分の狭い了見で師の言動を一刀両断にしていては学べるものも学べず仕舞いに成ってしまうということ。
へなちょこがいっちょまえ気分になってしまうという意味で天狗になったり、自滅したりで付け焼き刃な状態がいちばん不安定で危ないのだということなのだろう。
修業の道程にはそういう段階があるのだと理解できる。
 
 

お別れ会のBBQ

 
Dさんが故郷の米国に家族と共に帰ることになった。
お別れ会のBBQに参加してきました。
DさんはiPhoneで撮ったドラゴンヘッドの画像をアップにして見せてくれました。
僕の作ったドラゴンヘッドをとっても気に入ってくれたみたいで、そのリアクションがとても嬉しかった。
Dさんとはもう会えなくなるわけじゃないけど、仲間との別れはやはりさびしいものです。
たぶん向こうではひとりで居合を稽古することになるだろうって明るくおどけて語るDさんでした。
昇段審査にはまた来日して、ごいっしょできることと信じて僕も稽古に精進しながらその日を楽しみに待つことにします。。