カレーの想い出話

昨晩はカレーをつくった。
タマネギを1時間以上炒めたし、隠し味もイロイロ。
娘に食わすオヤジカレーでした。
娘にチチの味付けスキと言われてご満悦でした♪
そんなこだわりのカレーをつくってみたのだけど、僕が子どもの頃に食べたカレーの想い出話を少々。
僕が小学生のころは呼び方もライスカレーという説とカレーライスという説に別れて定期的にバトルが勃発していた。
僕はカレーライス派だった。
ライスカレーという言い方は当時でもなんともジジ臭い香りがした。
カレーライスと言えば当時のお誕生日会の御馳走ときまっていた。
友だちの家のカレーを食べるのは不思議な体験だった。
どこの家でもだいたい使用されてるのはハウスのバーモンドカレーのルーだった。
林檎と蜂蜜トロ~リとけてるアレである。
なのにどこの家のカレーも味が違うのである。
ナニが違うのか?!
なぜかみんな確信を得たように自分の家のカレーがだんぜん旨いと思っていた。
どうやら具の大きさによって大きく味も変わるように思われた。
じゃがいも一個をざっくり4つに切ったくらいの大きさ、にんじんもごろごろでっかくぶつ切りの家や我が家のように最低でもジャガイモ16分割以上、にんじ んもそうとうに細切れになっている。タマネギも融けてカタチが分からないくらいが我が家のスタイルなのだが、ある時決定的なことに気がついた。
一人っ子家庭のカレーの具は大きくて、4人兄弟で子だくさんの貧乏だった我が家のように競争率の高い食卓では、カレーの一杯にも具材がちゃんと行き渡るように細切れになっている。
そういう母親の作戦だったのではないか?
一人っ子の家庭のカレーの決定的だったのは肉の塊がごろんと入っていたことだった。
これは衝撃だった。
我が家では豚コマをさらに細切れに切っていた。
カレーが多いのがカレーライスで、ご飯メインなのがライスカレーとか、どうでもいいが、そう…ある時点で気がついた。
そんな感じ。
ウチよりもっと子だくさんだった家庭では具が分からなかったくらいだ。
これはヒエラルキーの差だったのか、エンゲル係数の問題だったのか!
そういえば、カレーライスと言いはっていた子の家のカレーは具が大きかった気がするのだ。
しかも、カレーをごはんが見えなくなるくらいその友だちのお母さんはかけてくれた。
ライスカレー派の友だちはその大盤振る舞いにびっくりしていた。
そのライスカレーな友だちの家では、カレーをかけるときもご飯がおさらに半分以上見えるようにかけなければならないという涙ぐましいルールまで存在していた。
つまり少ないカレーでご飯を多めに食べなさいという掟!
ライスカレーとはそういう意味だったのか。。
カレーから垣間見える各家庭の食卓の実状。
それでも我が家のカレーが一番うまいとみんな思っていた。
それぞれのヒエラルキーが反影された家庭の味がするカレーを我が家の誇りとしてみんなきっと想っていたんだろうな。
だれかの誕生会にお呼ばれするたびに、カレーなるバトルは勃発した。
ウチのカレーがうまいのはなぜか!と熱く語るバトルは尽きなかったのでした。