高校一年生の時に描いた油絵です。
タイトルは『KEN-DAMA』。そのまんまですね。
F30号(91,0 × 72.7センチ)サイズです。
習作は沢山あるのですが、コンクール向けに描いて、自分の作品として自覚出来たはじめての作品です。
当時の富山県の青少年美術展でたしか… ナニカの賞をいただきました。
これが油絵では自分の原点のような感じの作品です。
この夏、中学校の同窓会と高校の美術部の同窓会もあったので、10日間と少し長めの帰省をしました。
この剣玉の絵は父親が書斎に使っている部屋の壁に飾られているのですが、なんで他にも沢山あるはずの作品の中でこの絵を飾るのか聞いてみた。
意外にも父親の口からでたのが「最初の作品が一番いいからだ。」という言葉でした。
ほとんど油絵についての知識も無いまま、学校の美術部の部室ではなく、自宅で画材と格闘しながら描いた記憶が甦る。
くしゃくしゃにした西洋紙のうえに剣玉を置いて強烈な白熱球の光源を当ててみた時の反射光がおもしろくて表現してみたかった。
たぶんそんな気分だったことを思い出す。
今では黒を多用すると絵が濁るのを知っているのでほとんど使ってませんが、この絵ではガンガン黒を使ってます。
そしてなんでこんなに濁るんだろう?と悔しく思いながらも、上から白を重ね塗りしながら発見したのが、黒が強すぎるのに対して白が弱いという油絵の特性?!
まあ一番安いセットだったわけですし、その時使ってたのがジンクホワイトだったせいかもしれませんが…
そのことに気付いてから鮮やかめの暖色や寒色を西洋紙の影の表現としてまず強めに塗り込んだ後、ホワイトを溶き油でしゃぶしゃぶにといだのをおつゆかけの ようにして塗って、透かして鮮やかな色がみえるように表現してみたりと今の自分の技法にもつながる描き方を発見出来たのもこの絵との格闘からだったように 思います。
こういうシンプルなモチーフでも感動を表現することをあきらめないで格闘してみる。
それはよい体験だったなと感じている。
そして未完に終わらせなくて良かったなということ。
原点と言えるとするなら、自分が完成させたなとはじめて自覚出来た作品だったというそのことだろうな。
父親は自分が絵の道に進むのを当時かなり邪魔してくれて、乗り越えなきゃいけない壁にもなってくれた人だったのだけど、最初の作品が一番いいなんていわれると腰が抜けるカンジがしてしまう。
ま、そんな思い出バナシでございます。
高校の美術部の同窓会でも中学の同窓会でもそんな当時のあまじょっぱい記憶がパンドラの箱を開けるようにしていっぱいとびだしました。
まぎれもなくそこに今の自分につながるエピソードがあり、感慨深くならざるをえないのでした。
当たり前のことなんだけど、今の時間を大切に使わなきゃってあらためて思った夏でした。
牛骨デッサン 2
2012年7月 牛骨デッサン
授業で学生といっしょに描いたデッサンです。
構図決を決める
ほぼ構図が決まる
トーンと空間表現
トーンをいしきしながらカタチを表現していく
空間を意識しながら細部の描写へ
牛骨の質感を観察しながら細密描写を進める
一応の完成 (ここまで約10時間作業)