全剣連 制定居合 一本目の技「前」
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地獄は通過するモノ
地獄は通過するモノというお話しを新年会で師匠からしていただきました。
僕の地獄とはなんだろう。。?!
地獄競争しましょうと師匠から挑戦を受けました。
日々地獄成るや否か。
その人の地獄を悔い改め続ける、そのことだと。
今がその時、それぞれの花を咲かす時。
もっとそのひとりひとりの達成感を発見するんですね。
自分の地獄を見つけそれを克服する。
私は幸せだと思って対峙するのか、不幸だと思って対峙するのか。
それだけでまったく違った世界が目の前に広がることになるんですね。
封印しようとしてできなかった僕の地獄とまた向き合いそれを通過してみようと思える勇気を分けていただきました。
袋竹刀で習う
第49回東京都居合道大会
沈む稽古
切り下ろした後、身体の中味ごと沈ませる。
身体の中心からの落下で切る。
中味が沈む感覚、身体の使い方が分かっていくから楽しい。
沈む稽古で落下というゴールをめざす。
四股(しこ)を踏む感覚や、グライダーで滑空する感覚を比喩にI師匠は身体を使ってレクチャーしてくださる。
筋トレではなく、落下する身体を手に入れるのが一つのゴールなのだと。
頭で理解するのが難しいと思っても、身体で理解できることは『できた!』という感覚で分かるものなんだなという気付きをあたえてくださる。
なるほど「わかるということはこういうことなのか」と。
その感覚をたよりに体術として自分を修錬していく。
しかし、理解したと思う先からすり抜けていく性質の覚りなので、雪がしんしんと降り積もるように自分の稽古を積んで身体に覚え込ませ、再現性の高い術にまで昇華させる必要がある。
表現すること、絵を描くこともきっと同じなんだよね。。
関東甲信越大会
I 先生によるマンツーマン指導
T師匠の命日
もう3年になるのだなあと感慨深い気持ちになる。
T師匠の眠るハワイの海を心に描きながら黙祷させていただく。
先日の稽古ではT師匠、Y師匠とも親交のあるI先生が挨拶に見え、いっしょに稽古をしてくださり指導もしていただけた。
I先生に教わり印象に残ったことば
つら(顔)づれなるままにうごく。
顔から連動させて動く。
手や足だけの単独の動きではなく、
意識した「つら(顔)づれなるまま」の連動した流れのままに手や足が出て刀が出るようにする。
そうすると刀を持った手や足の単独の気配が消える動作となる。
制定十二本の模範演武を見せていただけた。
しなやかな居合に圧倒される思いで拝見する。
自分の場合は「体格を生かし、あまり体勢を沈み込ませるのではなく、どっしり立ち、気持ち重心を下に沈ませるよう意識すると居合がもっと良くなりますよ。」と、ご指導していただけた。
I先生のご指導からは居合の敵を想定する考え方の点でもなるほどと思わされ、得るものも多かった。
亡くなったT師匠ともっとも近い居合を体現されているとY師匠からも評されている先生と伺っていた。
全国の選抜戦で優勝経験もある先生ということで、今後もI先生から学ばせていただける機会が増えることを願っている。
またお手本にしたい技と人格を体現された先生とのご縁をいただけたことに素直に感謝したい。
抜け落ちた古流の技
小走りで稽古場に駆け込もうとしたら、入り口前で袴のすそを雪駄で踏み、豪快に転けた。
いっしょに持ってた刀の鍔が曲がってしまった。
転んだ時の膝やひじも痛いけど、刀の破損が一番痛かった。。
平常心をこころがけ稽古をするもいろいろ思うところもあった。
鍔は自宅にもどってから道具を使いなんとか形を修正してみた。
兄弟子に見てもらいながら古流の稽古のおさらいをしたが、稽古不足を反省した。
せっかく習ったのに抜け落ちてしまった古流の技をもう一度身体にたたきこむ稽古をしっかりおこなうこと。
学校の仕事は春休み期間に入ったので身を入れて稽古にはげみたい。