居合の大会。
一回戦負けでした。
最初の試合は同年代の方々5人で演武し1人が勝ち残る形式でした。
くやしいといいますか…力不足、稽古不足だったのだなあと。
立ち向かう気持ちを自分自身が誤摩化していることが露顕したように感じる。
大会後、T先生とY先生同門のお弟子さんたちと沖縄料理店でお食事会といいますか反省会に参加。
つい軽口をきいて、それをすぐさま訂正した自分にY先生が突っ込む。
『酔った勢いだろうが、しらふだろうが関係ない。
いつでも自分の真実を話さなくちゃ意味がない。
居合をやって自分を磨く意味もそこにあるはずよ。』と注意を受ける。
痛い言葉でした。
真実の自分と向き合っていない自分を突きつけられた気がする。
もっとおめでたさをそぎおとせ。
自分の本分とは
これだけは譲れない自分の本分というものをいざという時に提示できるような人間としての威力が自分にはカケラもないのか。
そう思うことがこのところ続きました。
自分を甘やかし、世間の厳しさからも目をそらし、お目出度くこれまでを生きてきた生温さが見透かされていただけのことなのだと実感します。
自分の本分を極める生き方とは?
自分の命の使い方の極意とは?
これまでの己の生き様の生温さが見透かされているだけ。
そう気付いた今から、この足もとから変えていくだけ。
自分の目を眩ませるモノを取り除き、自分の本分を発揮できる環境を取り戻すことだ。
そして、これから残りの人生において真っ向から向き合え、正しいと信じられることに自分の命を使うこと。
そのことにつきる。
H市の大会
自分に勝った方が優勝する。
結果は3位。今回も銅メダルをいただきました。
兄弟弟子のK氏は決勝で惜しくも敗れ2位でした。
居合にはその人間性が出る。まるで鏡のようです。
正確さ、エレガントさ(美しさ)、威力。
この3つを全て文句のないレベルまで昇華させるべく稽古を重ねるしかないと痛感した一日でした。
昇段審査
この日は初段から五段までの審査がありました。
僕は五人一組でおこなう審査の二番手だったので開会式後あっというまに出番がやってきました。
後列だったせいもあり、あまりあがらずにいつもの稽古に近い演武ができました。
やはり師匠の計らいで大会などに積極的に出場し、場数を踏むことができたことも功を奏しているのかもしれません。
演武を終えて真っ先にT師匠のところへ駆けつけると「よくできてました、だいじょうぶです。」と審査結果が出る前にお墨付きをいただきました。笑
あんまり褒めてくれたりする師ではないので正直びっくりでした。
残りの兄弟弟子たちの審査をはらはらとした気分で見学しました。
T先生の弟子で今回昇段審査を受けたのは初段四人、二段二人、三段二人でした。三段を受けたおひとりだけ失格で半年後の審査で再挑戦ということになり、あとの全員は無事合格することができました。
今回の審査から演武は指定技になったせいなのか技を間違える方も多かったようでした。
さすがに四段、五段の審査になるとハードルは高くなり昇段できない方もずいぶんいたみたいです。
演武会場の受付横には刀剣屋さんの出店があり、模擬刀や真剣が手に取って見ることができるようにして売られていました。
拵え付きの日本刀だけでなく鍔やハバキ、下げ緒などの装飾品も多数展示販売されていました。
なんと柄巻き用の革紐と親粒付き鮫革までありました。
ネット購入より安い値段だったので自分に合格のご褒美ということにして購入してしまいました。
いったい何に使うんだと兄弟弟子に突っこまれ、木刀の柄に革紐の柄巻きを試みますと答えると師匠も含めて皆にあきれらました。しぶいの作ってやるぞという野望が!笑
打ち上げはM市の小料理屋さんで盛り上がりました。
巨体の外国人たちがはめをはずしすぎてお店や他の客に迷惑だったかなというくらい騒いでました。僕らのいる空間だけホント日本じゃなかった。苦笑
この昇段審査のために来日し、無事三段に合格できたLさんが僕に入れ墨のデザインをしてくれと頼んできた。
現在29歳のLさんは2年前まで某N◯VAで英会話講師をしながら日本に滞在し、T師匠に居合を毎日のように熱心に習い奥居合までマスターしてオーストラリアに帰っていったそうだ。
酔った勢いで頼んでるんでしょ?お国のお母さんが泣きますよ!とゼスチャーまじりで伝えるともうすでに鳳凰と龍が単体で右腕に彫ってあってそれを Tシャツをぬいで見せてくれた。Lさんの考えでは胸から腕に絡むように鯉の滝登りを水しぶきとともに彫り、すでに彫ってある龍と鳳凰も一つの絵であるかのようにまとめたいのだそうだ。
デザインだけ僕に頼みたくて彫るのはオーストラリアの彫り師だという。
日本の入れ墨をデザインしてくれるところへも行ってみたがなっとくできなかったらしい。
師匠に渡してあったハガキサイズの作品集に龍に乗った少年のイラストがあり、それを見たLさんは自分に頼みたいと考えたのだそうだ。
Lさんは結構真面目だった。
実は前日の錬成館の稽古の時にも僕にタトウーのデザインおねがいしますといっていたのでてっきり冗談だと思っていたのだ。
受けるとしたらこれは責任重大です。
でも、これも縁だしアイデアラフだけでも描いてみましょということに。
入れ墨デザインなんてはじめてです。
米軍基地ではたらくDさんも便乗して自分の腕にも彫りたいからデザインをおねがい!といってきた。
もう髑髏がすでに肩からひじにかけて彫られている。
これ以上腕に彫ると演武の時に道着からはみ出しますよ!と伝えてもらう。
師匠からもそういう入れ墨はダメだ!と注意されショボンとしていました。
なんだかウオリヤーな方たちとお近づきになるのは自分の世界も広がるようでわくわくできます。
居合道大会に参加
T市の居合道聖大会に参加させていただきました。
稽古不足なままの参加を気にしていましたが、
おかげさまで一般無段の部で三位をいただきました。
準決勝で同門のDさんに判定2対1で敗れました。
Dさんが銀メダルで僕が銅メダル。
お互いにグッジョブ!と握手。
お師匠と記念写真です。
一級審査に合格
もよりの駅で朝7時15分に待ち合わせる。
米国人3人とニュージーランド国籍の中国人、先生方と自分も入れて7人で移動。
今日審査を受けたのは巨体の米国人2人と自分の3人だけであとの2人の新弟子は向学のための見学ということでした。
JR中央線でお茶の水までいき千代田線に乗り換え、綾瀬の武道館まで約1時間半かかった。
東京武道館の2階のスペースで審査はおこなわれた。
4月に参加した第46回居合大会の時のメイン会場より小さめのスペースでした。
年齢の若い順に演武が始まる。
今回の審査では11歳から72歳まで約100名の参加ということでした。
僕のゼッケンナンバーは64番でした。
五人一組で演武をし、審査を受けることになるので、だいたい近い年齢の方々と組むことになります。
いっしょに審査を受ける米国人のお弟子二人のうち一人が自分と同じグループでした。自分より一歳だけ若いということを知ってちょっと驚く。剣道では3段の有段者なのだという。他の新弟子さんたちも剣道の稽古もしている方々なのだそうだ。
専門校の居合部のO先生も学生の級審査の付き添いでいらしてたので挨拶する。
自分の番が近づくと、さすがに緊張するものだなあとヒリヒリとしたその感触を味わいながら待つ。
米国人のお弟子二人がユーモアたっぷりのジェスチャーで自分も緊張してると表現してくれる。お互いにベストをつくしましょう、とカタコトの日本語と英語で伝え合う。
なんと自分は日の丸の国旗の前に設置された五人の審査員の座るテーブルの真ん前の真ん中での演武と相成った。
業が小さめになったり心配だった刀礼で多少もたつきもあったかもしれないが、ほぼいつもの稽古のとおりに演武できたと思う。
審査で共に演武した五人で輪になっての正座でお互いに礼をし、ゼッケンをお返しした。
Y先生は「よかったわよお!」と仰ってくださる。
先に演武を終えていた米国人のお弟子さんからも「グッジョブ!」と声をかけてもらう。
T先生は無言でしたが、しっかり僕らの演武をご覧になっておられたようでした。
みんなで記念写真をとったりして審査の終わるまでの時間を過ごす。
朝9時に会場に入場してからお昼の12時半ごろには合格発表がありました。
無事三人とも一級審査に合格できました。
免状をいただき、さっそく先生方に報告にいきました。
T先生から『おめでとうございます』というお言葉をいただきました。
その後、先生方やお弟子の皆さんとお茶の水の和定食屋さんでジョッキ生で祝杯をあげ、お食事をいただいてから家路につきました。
「このペースと集中力で稽古を続けていければいい結果も望めるでしょ。
まずは3ヶ月後の初段審査に向けてじっくり制定居合12本のすべてをおぼえていくことになるわよ。」とのY先生のことばに静かに内圧が高まる思いがしました。
稽古を始めた動機
日本人のきめ細やかで奥ゆかしい意匠であり、古来、武士の魂とまで呼ばれた日本刀。
その鋭い切れ味は、現在でも世界の数ある刀剣の中でも群を抜き、過去諸所の異国からは魔剣として恐れられたといいます。
しかしながら、鞘がその恐ろしい刃を包み、ただ静かな佇まいで黙としている。
刀を使う者の間ではそのあまりの切れ味と残忍な殺傷力から、
ひとたび抜刀し切っ先を相手に向けたならば、互いに死を覚悟し
相手を殺す覚悟も決めねばならないことと認識されていました。
むやみに刀を抜き、相手を脅かすことは疎まれた。
武士に二言はなく、抜いたら相手を殺す。
そして死ぬ覚悟をすでに決めていた。
しかし、本来多くの使い手たちはそんな刃傷沙汰は好まず、
故にその攻撃意思の白刃はしっかり鞘に収めて持ち歩いたわけです。
抜かずに越したことはなかったのです。
そんな日本刀を扱う武道である居合を始めて2ヶ月たちました。
今年1月26日の最初の見学後に書いたメモを元に自分が居合道を始めようと思った動機をまとめてみます。
自分の精神的な脆さを感じながら身辺に起こる出来事に一喜一憂する日々から
人間的な強さを身につけたいと強く思うようになっていました。
継続した修行に適した武道として居合道に興味を感じていました。
また、自分が日本人として生まれながら、日本人が培ってきた文化を知らないのは、勿体ないと感じていました。
日本刀を腰に帯び、精神を集中、自己の全てを清めんとする精動一如の境地こそが居合道の至極と聞きます。
刀の握り方、抜刀、納刀の仕方、身体の使い方などの美しさ。
これらの魅力的で美しい作法を日本の文化として学んでみたい。
自分の身体と魂に染み込ませたい。
以前から剣をあつかう作法などに興味があり学べる機会を求めていました。
インターネットで調べ、自分の住む地域にある産土神社境内の錬成館で稽古を見学させて頂きました。
そこで熱心な稽古の様子を拝見し、即日入会を決心しました。
ご指導くださるT先生とY先生ご夫妻の温かなお人柄の印象が決め手でした。
楽しさと厳しさの両方を、とてもバランス良く兼ね備えられた指導をしてくださると感じました。
自分も若いクリエーターの育成を目的として絵を描く技術や心を伝える仕事をしていますので、大いに参考にさせていただきたいと感じました。
稽古しようと思えば、いつでも稽古出来る道場があり、指導もしていただけるということをとても心強く感じました。
自分はお目出度く、おっちょこちょいな人間です。
しかも、かなり迂闊で軽薄だということも自覚してます。
自分の集中力の無さや詰めの甘さを居合を学ぶことによって少しでも克服し、人間的な成長ができるよう修行に励みたく思いました。
心を磨くまたとない出会いと心得て、日々精進したいと思っています。
「着付け」「目付け」「抜き付け」この三付けと、居合道は「鞘の内にあり」を肝要とし、常日頃から心がけていく所存です。
正しく、心技一体の居合道を求めていきたいと思います。
始めたばかりですので、当面はしっかりと基礎を身につけたいです。
「継続は力なり」の教えを真摯に受け止め一心に稽古すること。
もちろん段位取得も目指して精進したく思っています。
お目出度さ
正月気分もまだ抜けずにいます。
まだまだお目出度さが抜けない自分を日々感じています。
このあいだも『先生がなんだか一番人生を謳歌しているように見えます。』と非常勤で通う専門学校の学生さんに言われ、もしや彼らよりはめを外してるように見えるのかな?自分は!…と、反省しました。
ほんの少し買いかぶってる方々もいらっしゃるようで…それはそれでありがたいことだなあと感謝するばかりです。
それでも自分自身の周辺で起きる事案へも真摯に対応できていないままなことも多々あるわけです。
日々、僕は縁を得た人々と円満な交流をと試みつつも玉砕と一喜一憂を繰り返して生きています。
とはいえ気苦労ばかりが大きい日々かというと、このごろはそうでもありません。
だれでも自分のキャパを越えた事を続けるのは難しいということでしょうね。
今日はとても辛かったと感じていても1日のうち数秒くらいは花柄の気分を味わってる時間はきっとあると思うのです。
僕もお目出度い性格ですので拍車がかかると、だれもがひとしくそれぞれに辛いことがあるということを、しょっちゅう忘れてしまうのです。
小さな幸せに酔ってなのか、人の痛みも理解できないくらい自分の痛みに夢中になってなのか…しょっちゅう忘れます。
忘れてばかりいるので自分を恥じ入るような言動に肝を冷やす瞬間もしょっちゅうです。
こんな僕にも師とよべる方々がいます。
師匠連の存在を意識した言動で日々を恥じないようにと自らを戒める視点を持つように心掛けていても胸も張れず、いつもポカばっかりです。
こんな時の処方箋はなかったっけかなあ…と思いつつ思い出した言葉があります。
師匠の一人、療法家のH先生の言葉で印象に残っているのがあるので紹介させていただきます。
『受け入れることをやめて、受け止めるだけにする。そのほうが自分を保てますよ。』という言葉です。
この言葉を聞いた当時は目からウロコが落ちる思いでした。
◯無条件に全てを受け止める。
◯条件付きで受け入れる。
さて、どちらが楽な生き方でしょうか。
今の僕は前者だと考えます。かつては違ってました。
受け入れようとするから苦しくなるのかもしれません。
ハナシが通じるはずの相手とでも意思の交流をすることは簡単なようで実は難しいものです。
ペットなどの動植物の世話をさせてもらうカタチの交流とくらべても難しいなあって思います。
ヒトほど理解してくれないものは無いともいえます。
ヒトにはエゴがあるからかなあ。。。
たとえ条件付けして自分なりに共鳴できたヒトとだけ交流してたつもりでも、受け入れるとたちまち相手のルールで心の中に土足で踏み込まれたような気分になり、自分のペースがこわれちゃうこともありますよね。
相手が好意を持ってしてくれてる場合はなおさら辛く自分を責めるようになる場合もあるかと思います。
受け入れる受け止めるの違いをもう少し具体的にすると…
いっぱいの条件付けをやっとクリアさせて受け入れたのに、たちまち喧嘩別れでがっかりなこともままあるかと思います。そしてだれにも理解されないひとりぼっちになったような気持ちに。ひとりぼっちな気分というのは辛いですよね。。。
互いのスタンスを尊重しつつ、共鳴しながらも連携をはかれるのが無条件に受け止めるスタイルではないかと思います。
たとえそんなに気が合わなくても思いのほかつかずはなれずの長い付き合いになれる場合もあるのかもしれません。
夫婦という関係もこういうことに気づけた後はやっと同志のようになれる気がしています。
自分を変える気もなく「わたしを受け入れてくれたんじゃないの?!」と詰め寄られるのも困ってしまう局面ですよね。
本人が辛い状況であればあるほど、こういった局面になる傾向が強いように思います。これではお互いが辛くなりますね。
辛いヒトはもう一人辛い仲間を増やすのが目的だったんでしょうか?
苦しんでいる最中のヒトは自分の苦しみを少しでもわかってもらいたいと思っていますから、とてもわがままになることがあります。
苦しんでいるヒトには『苦しかったんだね』と受け止めてあげる、できることはそれだけだと思うのです。
そのヒトと同じ苦しみのルールまで受け入れていっしょに同じ苦しい気持ちになっていては本末転倒ですよね。
受け入れてもらえたと思うと安心して自分のエゴを押し付けるのがヒトの性なのだとしたらこれは悲劇ですよね。
受け入れたり受け入れてもらおうとすることをやめて、受け止め合うだけにするとお互いが自分を保てるという由縁です。
すべて自分に起こることから学ぼうとする姿勢はあらゆることを「無条件に受け止める」ことからはじまるのかもしれません。
人生には必要なことを自分にぴったりのタイミングで学んでいくという側面もあるのでしょうが、自分が壊れてしまってはもともこもないですよね。
そういう壊れそうな体験を味わうとどうしても、だれか他人のせいにしたくなるのが人情かもしれません。
他人のせいにすることはとても簡単です。でも、問題を解決することは難しくなるばかりです。自分のことではないからです。
僕はかつて40歳くらいまでの数年間、医療過誤が原因で心まで病むのではないかと思うほどの不定愁訴の症状に苦しんだ時期がありました。
そう、僕はすべてを医者のせいにしていました。
自分の長年の悪習慣や不摂生も棚に上げて。
事実、症状の原因を手術や治療で取り除いた後もファントム(医者の診断によれば幻、妄想によるもの)な痛みに苦しみ続けました。
具体的な部位の痛みとして、症状を事細かに訴えても、そんなことはありえないと鼻で笑われたこともありました。
最悪な治療を自分に施した医者に対する恨みや自らを責める心が自分自身をどんどん蝕んでいくループにはまっていくようでした。
いちど囚われてしまった不信感、怒り、憎しみの感情を払拭するためには多大なエネルギーを必要とします。
もがけばもがくほど囚われていくようで、まるで蟻地獄にはまった蟻のようでした。どこかであたらしい生活を自分で選択して確立しなければ変化は起こせなかったのです。
そうやって人生の大事な季節を腐って過ごしていたのかと思うと、前向きに取り組めていれば、いい仕事が残せた時期でもあっただろうにと悔やまれるのです。
今ではH先生の施術や言葉のおかげで、完治しないまでもその痛みに心も振り回されずに済んでいます。
当時なぜ自分がこんな目に遭うのか、苦しい苦しいと日々自分の不幸をなげいてばかりだったせいか、せっかくいただけた仕事も仕上げの期日が遅れがちになったあげく、実際に落としてしまうようにもなりました。
自分自身の仕事に対する誇りさえも無くし、どれだけ家族に精神的な苦痛をあたえ迷惑をかけていたのだろうか、今思い出してもぞっとします。
実際に具体的なピンチもいろいろあったわけですが…よくそんなだった僕から逃げ出さなかったなあって今では家族にも無条件に感謝するばかりです。
しまいにはただただ苦しいとしか感じられなくなり、絵を描く仕事にも疑問をもちはじめていました。
体調を崩す前までは順調で生活のためのメインの収入源だったはずの出版関係の仕事をあきらめ、別の仕事をすることも模索しはじめていました。
そして絵を描く仕事と違ってなれない仕事に難義し、ますます身体も壊すばかりではと、心はさらにひねこびていきました。
実際フリーの身では会社勤めの方々のような手厚い保証も無く、休むことはすなわち収入減となり、体調を崩す体験をしてはじめてシビアなものだなあと思い知りました。
それに、下手にクリエーターとしてこれまでやってこれていた、鼻糞のようなプライドがさらに僕の邪魔をしました。
それこそ家族が分裂してしまうのではと危惧できるほどの邪魔といえました。
そのころの僕の心境を喩えるなら、自分が座ることができない椅子と椅子のあいだでテーブル上の華やかさに嫉妬するばかりの餓えた犬のような気分でした。
それでも捨てるカミあれば拾うカミありなできごともありました。
元気だった時の僕の作風を認めてくれていたゲーム制作会社のW氏たちは、僕の体調に無理のないペースで仕事ができるよう計らってくれました。
僕の作風に向いた仕事を見つけてきてくれてはサポートのためにクライアントとの仲立ちやスケジュール管理もしてくれました。自分の症状に明るい医者をいっしょに探してくれたり、また紹介もしてくれました。
どっぷりと「かわいそうな自分」につきあってくれる優しい方々に甘えていたのだと今は思うのです。
現に自分はそんな状況さえも苦しくなり彼らのサポートを素直に受けられなくなってしまいました。
そんな頃、友人のTくんから『近況はどうだい?』とタイムリーな電話もありました。Tくんとは、僕らが19歳のとき美術の予備校で、いっしょに絵を学んだ仲でした。後に彼は、絵を描くことを生業にするのをやめて、栃木の実家に帰り家業をついでいました。
僕は思わず、心許せる旧友に同情してもらいたかったのか、これまでの未練がましい泣き言を並べたてていました。
Tくんはすべての泣き言をさえぎりもせず聞いてくれた後『いつまでも、そんなおまえらしくもない、カッコわるいスガタさらしてもいられないよなあ。おまえはおれがあきらめた夢をまだ生きてるはずだろ。』と静かに言ってくれました。
たぶん、その言葉がきっかけで自分の中のなにかが内がわで変化できたように思うのです。
僕は自分が身も心も元気だったら当然こなしているだろう自分の夢だった創作のことを思い描いていました。
おまけにそんな自分に、まだ幼かったTくんの娘を描いてくれと、絵の注文までくれて、前払いで僕ら家族が1ヶ月は暮らせる金額を振り込んでくれました。もう手を合わせるしかありませんでした。
決定的だったのは常に自分とおなじフリーの境遇でいっしょにがんばってきていた友人Y氏の死でした。
Y氏は学生時代から僕のあこがれの兄貴のようで、いっぱい影響を受けた存在でした。
ずっといっしょに年寄りになっても遊び仲間でバカやりながらいけるもんだと信じて疑っていなかった大切な存在でした。
世の中にこんなにも悲しいことがあるものなのかと、これまでの自分の痛みなんて鼻糞じゃないかとその時ばかりは思い知りました。
自分が覚悟をきめるまでこれでもかこれでもかと非情に運命が回転していくかのように感じていました。
本当に自分はこのまま腐っていてはいかん、前を向いていこうと覚悟できたのはやっとこの時でした。
自分に起こったことを他人のせいにして攻めるのは楽な気持ちのおきかたなのかもしれません。
ですが、そのまんまの心持ちでは堂々巡りしがちで、なかなか成長させてもらえない気がします。
もし誰かのせいにせずに、経験値をアップさせてもらえたというくらいに感謝し、つぎのステップに進むことができるなら、どんな辛い体験からも学べるようにヒトはできてるんじゃないでしょうか。
自分を責めるループから脱出できるヒントもそこにあるように思います。
自分の身に起こったことは全部自分の責任、いっさい他人のせいにしない。
これは自分に起こってしまったことを受け止めた上でのこれから先の人生に対しての心構えなんです。
事故や犯罪による犠牲など極端な傷つき方の場合は専門家に委ねるべきでしょう。
いずれにせよ状況が辛ければ辛いほど厳しい気持ちの置き方になるのだと思います。
そうきめて自分を生きる覚悟ができたとき、他人の心ない言動に傷つくこともいくぶんか前よりは減り、だんだん気にならなくなって少しは心持ちも楽になれるのではないでしょうか。
そうでもして、心持ちを切り替える時がこなければ苦しみの無限ループはずっと続いていくように思えてなりません。
『受け止める』にとどめるのが本当は一番楽な生き方なのかもしれません。
そもそも他のヒトの価値観や人生ごとまるまる受け入れることは可能なんだろうか?ということです。
親子でもそれはむずかしいのではないかな。
『親しき仲にも礼儀在り』というおなじみの言葉も、ヒトとヒトの気持ちのいい距離感を体現化させた美しい文化から抽出された言葉なのでしょうね。
僕の場合は踏み外しがちなので、君はやりすぎだと別の師匠からもしょっちゅう注意を受けるわけです。
ヒトはみんなそれぞれがそれぞれのポジションで最高の表現をして生きているということなんです。
そこを尊重しなければ傷つくものなんだと思うのです。
だってそのヒトがベストだと思って選択をかさねてきた結果として今そこに在る訳ですから。
ヒトまかせにしてだれかの意見を聞いたあげくそうなっていたのだとしても信頼したヒトのアドバイスでそうしているわけですからケチをつけられればやっぱり腹が立つもんです。
みんながそれぞれのレベルで精一杯に自分が最高だと思う表現をして生きてるというところをまず尊重するべきだと思うのです。おまえのココが間違っているといきなりやられればカチンと来るのもしかたないですよね。
あなたはそうなんですね、って相手を受け止めるところからはじめて…気になる場合は僕だったらこうしますけどね、と言えるだけです。
それぞれの学びのステージがあることをまず尊重し、その後に互いの成長を前提にした円満な交流をする。
タフそうなヒトにはズバッと言ってますが、僕のコミュニケーションはいつもこんなカンジだと思います。
おかげで自分が間違ってたらすぐ修正させていただけるし、新しいこともそれなりに素直に吸収できる気がしています。
本当にヒトに優しくって自分にも易しい生き方ってなんだろ?
この言葉が最近のできごとから度々脳裏をかすめますので、タイムリーに今自分にも考える必要のあることなんだろうなと反芻しているところです。
しかし創作ということに関してはまた違うタフさが必要な次元があると思っています。
僕らは苦労したりして辛酸をなめるような火に焼かれながら比類なき自分の個性を結晶化させ、お目出度さを削りとってもらうんだろうなと思うわけです。
現実の世界は決してお目出度いことばかりではないですものね。
深く生きようと思うとなおさらかもしれません。
だれにもひとしくそれぞれに辛いことがあるということを知るにつけ、ますます自分の生命力を純化させ苦労を苦とも思わずに颯爽と意を強くして臨みたいのです。
そうでなきゃ、人のためになる創作の仕事なんてこれからもつづけられるわけはないですよね。
そんなことを時々は考えたりする神経質で肝っ玉の小さい中年です。
支離滅裂な雑文でしたが、お目出度い自分をそれなりにカミングアウトしてみました。
建仁寺にて
陶芸オブジェ
神奈川県にある『藤野芸術の家』の陶芸ワークショップに参加し制作しました。
ラフ画
..カタチにしてみました。
陶土による造形作業終了
上薬をかけて焼き上げてもらうまで時間がかかるということで、
あずけて帰宅しました。
これでも香炉のつもりなのです。
穴からけむりが雲みたいに出てくれたらラッキーです。
2ヶ月後…やっと焼き上がった作品が届きました♪
乾燥させてから素焼きして上薬をかけてまた焼いて…手間をかけてくださったのでしょうね。
焼き締ってサイズもひとまわり小さくなり、おいしそうなカレー色に仕上がっています。
偶然ですがこの日の晩ご飯はカレーライスでした♪(゚∀゚ )
当初香炉のつもりでしたが…
電球を仕込んだらかわいいライトスタンドにならないかな?とも思っています。