居合の大会。
一回戦負けでした。
最初の試合は同年代の方々5人で演武し1人が勝ち残る形式でした。
くやしいといいますか…力不足、稽古不足だったのだなあと。
立ち向かう気持ちを自分自身が誤摩化していることが露顕したように感じる。
大会後、T先生とY先生同門のお弟子さんたちと沖縄料理店でお食事会といいますか反省会に参加。
つい軽口をきいて、それをすぐさま訂正した自分にY先生が突っ込む。
『酔った勢いだろうが、しらふだろうが関係ない。
いつでも自分の真実を話さなくちゃ意味がない。
居合をやって自分を磨く意味もそこにあるはずよ。』と注意を受ける。
痛い言葉でした。
真実の自分と向き合っていない自分を突きつけられた気がする。
もっとおめでたさをそぎおとせ。
自分の本分とは
これだけは譲れない自分の本分というものをいざという時に提示できるような人間としての威力が自分にはカケラもないのか。
そう思うことがこのところ続きました。
自分を甘やかし、世間の厳しさからも目をそらし、お目出度くこれまでを生きてきた生温さが見透かされていただけのことなのだと実感します。
自分の本分を極める生き方とは?
自分の命の使い方の極意とは?
これまでの己の生き様の生温さが見透かされているだけ。
そう気付いた今から、この足もとから変えていくだけ。
自分の目を眩ませるモノを取り除き、自分の本分を発揮できる環境を取り戻すことだ。
そして、これから残りの人生において真っ向から向き合え、正しいと信じられることに自分の命を使うこと。
そのことにつきる。